1923年の山崎蒸溜所創設から2023年の100周年まで。スコットランドの技術を学び、日本の風土で磨き上げ、世界の頂点に立つまでの長い旅路を詳しく紐解きます。
摂津酒造の社員だった竹鶴政孝(26歳)が、会社の命でスコットランドへ留学。グラスゴー大学で化学を学びつつ、ロングモーン蒸留所・スペイバーン蒸留所・ヘーゼルバーン蒸留所で実際の製造現場を体験。当時のウイスキー製法のすべてを詳細に「竹鶴ノート」に記録しました。また、スコットランド人女性リタ・コワンと結婚し、帰国後も生涯をウイスキーに捧げることになります。
大阪府島本町の山崎に、鳥井信治郎(サントリーの前身・寿屋)が日本初のモルトウイスキー蒸溜所を開設。天王山の麓、桂川・宇治川・木津川の三川合流地点は霧が多く発生し、水質も良好。初代蒸溜所長として竹鶴政孝が招聘されました。この年が日本のウイスキー産業の正式な始まりです。
6年間の熟成を経て、日本初の国産ウイスキー「白札(しらふだ)」が発売されました。しかし、竹鶴が目指したスコッチ本来のスモーキーで重厚な味わいは、当時の日本人の口には合わず市場での反応は芳しくありませんでした。この失敗から鳥井信治郎は「日本人の口に合うウイスキー」を目指す方向に舵を切ります。
山崎での契約が終了した竹鶴は、「本物のウイスキーを造るにはスコットランドに気候の似た場所が必要」として北海道・余市を選び、大日本果汁株式会社(後のニッカウヰスキー)を創業。冷涼な気候・清らかな水・豊富なピート(泥炭)——余市はスコットランドのハイランドに似た環境を持っていました。石炭直火蒸留という当時のスコッチの伝統的製法を採用。日本に2つ目のウイスキー産地が誕生しました。
鳥井信治郎の「日本人向けウイスキー」の哲学が結実した「角瓶」が発売。欧米のウイスキーより軽やかで飲みやすく、日本料理との相性が良いブレンデッドウイスキーとして大ヒット。現在も90年近く続くロングセラー商品です。この「日本人の感性に合わせたウイスキー」というアプローチが、ジャパニーズウイスキーの独自性の原点となりました。
高度経済成長期に「ダルマ」の愛称で親しまれる「オールド」が発売。バーやキャバレーでのボトルキープ文化とともに、ウイスキーが日本のビジネスマン文化に深く根付いていきました。「水割り」という日本独自の飲み方もこの時期に定着します。
キリンビールがシーグラム社(カナダ)・シェリー社(英国)との合弁で静岡県御殿場市に蒸溜所を建設。富士山の伏流水と独特の高地冷涼な気候を活かしたウイスキー造りがスタート。日本に3つ目のモルトウイスキー産地が生まれました。
サントリーが山梨県北杜市・甲斐駒ヶ岳の麓、標高約700mの深い森の中に白州蒸溜所を建設。南アルプスの超軟水を仕込み水に使用し、背の高いポットスチルで軽やかでクリーンな原酒を生産。山崎とは対照的な個性を持ち、ブレンドの幅を大きく拡げました。
サントリー創業90周年を記念して発売された「響」は、山崎・白州の多様なモルト原酒と知多のグレーン原酒を巧みに組み合わせた日本最高峰のブレンデッドウイスキーとして誕生。後に世界の品評会で数々の最高賞を受賞することになります。
ニッカ「シングルカスク余市10年」がISC(インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ)で金賞を受賞。翌2003年には山崎12年も同コンペで金賞。世界のウイスキー関係者が「日本のウイスキーはスコッチに匹敵する」と認識し始めた歴史的転換点となりました。
廃業した羽生蒸溜所の希少原酒(約400樽)をスコットランドに一時退避させて保全した肥土伊知郎が、埼玉県秩父市に独立系のクラフト蒸留所「ベンチャーウイスキー」を設立。羽生の原酒から生まれた「イチローズモルト カードシリーズ(54種)」は世界中のコレクターを熱狂させ、クラフト蒸留所ブームの先駆けとなりました。
サントリーが「角ハイボール」のプロモーションを本格化。居酒屋・レストランのメニューにハイボールが標準採用され、長期低迷していた国内ウイスキー消費がV字回復。それまでウイスキーを「おじさんの飲み物」と思っていた若い世代がハイボールを通じてウイスキーを再発見しました。
WWA(ワールド・ウイスキー・アワード)2015年において、「山崎シェリーカスク2013」がウイスキーカテゴリーの「World's Best Whisky」に輝きました。英国のウイスキー評論家ジム・マーレイ氏も自著「Whisky Bible 2015」で同銘柄に最高点(97.5点)を付け、世界的なメディアが一斉に報道。「日本のウイスキーが世界一」というニュースが世界を驚かせ、瞬く間に品薄・価格高騰が起きました。
世界的な需要急増により主要銘柄の在庫が急減。山崎12年・白州12年・響17年・響21年など主要銘柄が相次いで品薄・販売休止に。市場では二次流通価格が定価の数倍に跳ね上がりました。この危機を経て各社は新たな原酒ストック拡充と品質管理に力を入れることになります。
北海道厚岸町に堅展実業が厚岸蒸溜所を設立。スコットランドのアイラ島を彷彿とさせる海辺の立地、地元産ピートの使用、フォーサイス社製ポットスチルを採用した本格的な設備が話題を呼びました。これを機に全国各地でクラフト蒸留所の開設が相次ぎます。
日本洋酒酒造組合が自主基準を施行。国産穀類使用・国内蒸留・国内3年以上熟成・国内ボトリング・40%以上のすべてを満たす製品のみが「ジャパニーズウイスキー」を名乗れることになりました。海外原酒を輸入して国内でボトリングする「偽ジャパニーズウイスキー」が排除され、消費者が安心して選べる環境が整いました。
1923年の創設から100周年を迎えた2023年、ジャパニーズウイスキーは新たな局面を迎えています。稼働中のクラフト蒸留所は全国100カ所以上に拡大し、北海道から沖縄まで各地の個性あふれるウイスキーが誕生しています。大手3社(サントリー・ニッカ・キリン)による原酒の充実も進み、次の100年に向けた新しい黄金時代が始まっています。